店主について
※お時間許すのであれば、コーヒーを飲みながら読んでみてください。※
コーヒーとの出会いは何年前になるだろう。
中高生の思春期ぐらいだったかと記憶している。
苦いブラックコーヒーを飲めることが「カッコイイ」と勘違いしていた頃だ。
チャレンジ初期は、やっぱり苦いと思いつつ何度か期間を空けてチャレンジしてみていた。
何度目かのチャレンジの時、脳天に突き抜けるような衝撃を受けたような記憶がある。
ガツンと来る苦みもあるが、スッキリとした後味且つほのかな甘みを感じたような気がした。
それが嗜好品となったターニングポイントと思われる。
とは言いつつも、喫茶店に行く程、財布の中身があったわけではなく、
御一人様で喫茶店にコーヒーだけ飲みに行くような柄でもなく、
缶コーヒーやペットボトルコーヒーに落ち着き、ずっと物足りなかった気がしていた。
しばらく年月が経過し、妻と出会い、デートコースに喫茶店が入ってくるようになり、
数々の多種多様なコーヒーを飲む機会が増えはじめた。
そんな折、思春期に感じたような「衝撃」を受けた。
そう。それが「マンデリン」であり、思春期に感じた衝撃をフラッシュバックさせたのだ。
もちろん、他の種類のコーヒーも幾度となく試していたが、やっぱり自分の舌に合うのは
「マンデリン」だったのだ。
しかし、「マンデリン」を提供してくれる店舗が通えるような近隣にない。
少し車を走らせて行ける範囲であればあるのだが、そうなると「通う」のは面倒くさい。
と言うわけで、スーパーで購入していた安い豆をミルで挽き、コーヒーメーカーで淹れていた生活が少し変化した。
安い豆がマンデリンに昇格したのだ。そうなってくると、もともと凝り性な性格上、自ら焙煎してみたくなるものだ。
何度か試してみたが、どうにも雑味が多く「衝撃」は突き抜けない。
「衝撃」を自ら作り出すことをしてみたいのだ。
試行錯誤に試行錯誤を重ね「ハンドピッキング」にフォーカスをあてることで
やっと「衝撃」を作り出すことに成功した。
そうなってくると、この「衝撃」を共感してもらいたくなる。
もちろん妻は一番の理解者であり共感者ではあるが、内輪だけではなく共感者が欲しくなる。
サラリーマンをしていた為、現役を引退してから小さな店舗でも開きたい夢ができた。
その店舗では、私がコーヒーを作り、妻がスイーツを作る。
小さな店舗に来たお客様と何気ない話をしながら、コーヒーを淹れる。
そんな夢。妻と抱いた夢。
夢とは裏腹にサラリーマンとして働くことが難しくなってしまった。
うつ状態になってしまったのである。何気ないコミュニケーションのずれなどが重なり、
重荷となってしまい、とうとう動けなくなってしまった。自分を見失ってしまった。
妻、娘がいるにも関わらず、リタイヤしてしまった。
そんな自分は何をして家族を養うことができるのか。
考えているとネガティブな思考になりすぎて、情緒不安定になり
自己嫌悪に陥り、思考が停止してしまう。その繰り返し。
それと同時に、コロナウィルスが蔓延してしまったご時世。
人々は家に居ることを強要され、飲食店は軒並み潰れていくような毎日。
たまの息抜きに行く喫茶店にも行きづらい世の中になってしまった。
待てど暮らせど転機なんてものは訪れない。
果報は寝ても待っても訪れない。
美味しいコーヒーが飲みたい。
かと言って喫茶店には行きづらい。
これと同じように考えている人は、自分以外にもいるのではなかろうか。
気になってみて調べてみると、全日本コーヒー協会なる組織が「コーヒーの需要動向に関する基本調査」を
行っていた。結果、職場や学校なんかよりも家庭で飲まれているコーヒーの方が多い。
もちろん、家庭で飲むコーヒーとしてはインスタントコーヒーやレギュラーコーヒーとなるが、
ある一定数は喫茶店やファミレスなどでの消費がある。
つまり、美味しいコーヒーを飲みたい人は人の集まる駅周辺よりも自宅で欲している人が多い。
という結論に至る。
それなら、自らコーヒーを淹れる店舗が移動してみたらどうだろう。
焼き芋屋や豆腐屋のように住宅街を巡回するコーヒーの移動販売車があったらどうだろう。
今まで自宅で飲んでいたインスタントコーヒーやレギュラーコーヒーが
美味しいコーヒーに代わる機会を自ら作り出してみてはどうだろう。
そんな想いから、一念発起し、自家焙煎の移動販売コーヒーに行きつき
起業する決意をする。
自家焙煎 移動販売珈琲 秋田屋
秋田谷 剛(あきたや つよし)
経歴
高卒後、アメリカの音楽専門学校でドラム科を卒業。
卒業後、帰国しバンド活動とバイト生活。約10年活動し、メジャーデビューを果たす。
引退後、医療事務の傍ら某プロバスケットボールチームのドラムパフォーマーとして活動。
その後、社内SEとして会社員。
リタイヤ後、現在に至る。